うんめぇもん応援団 応援ファイルNo.37 うんめぇもん応援団突撃インタビュー

うんめぇもん市の活動レポート「やっぺす通信5月号」より
うんめぇもん応援団の記事を抜粋して掲載しています。

今回は横浜市磯子区 副区長 川名 一行さんにインタビューをしました。
 
 
 
やっぺす 突撃インタビュー1
吉田)川名さん、今日はよろしくお願いいたします。早速ですが川名さんは、「よこはま型若者自立塾」立ち上げに携わってくださったとのことですが、その時のエピソードや思いを教えていただけますか?

川名さん)平成18年、こども青少年局が新たな事業としてサポートステーションを開設しましたが、すぐに就労に結び付くのが難しい人に対しての就職以前の生活訓練や共同生活の場が必要になりました。その場として考えられたのが、すでに国で制度化されていた「若者自立塾」でした。当初予算要求したものの、自立塾の必要性についてなかなか理解してもらえませんでした。それでも今後絶対必要になるという強い思いがあり、様々な人にご協力いただきながら予算を獲得することに成功したのです。開設予定地は山梨県道志村でした。

インタビュー2
吉田)横浜市の水源のひとつがあるところですね。今いるJスタッフの先輩も道志村に行ったことのある人は大勢います。川名さんの情熱が立ち上げ成功につながったのですね。

川名さん)若者自立塾の予算は確保できたものの、私は異動になり、2年後にこども青少年局に戻って来ました。でも、その時には道志村との関係作りの問題や、国の方針として自立塾制度自体が廃止になったこともあり、横浜市の自立塾も休止状態でした。全国で60近くあった自立塾も多くは解散してしまいました。もともと「よこはま型」の自立塾は、農業や林業、漁業に携わる「農山村型」と、ものづくりやIT関連のサービス提供等に携わる「都市型」の二つを考えていたのです。道志村での自立塾が難しいのであれば、横浜市内で自立塾が出来ないかと思い、K2インターナショナルに相談、その時金森さんから構想中として紹介されたのが磯子区岡村にある「にこまるソーシャルファーム」でした。初めて行った時、長い間休耕地だったようで見るからに荒地でしたが、開墾して立派なファームになりましたね。「農山村型」と「都市型」のミックスです。全国各地にあった自立塾とは大きく異なるもので、4年越しで実現していただきました。当時「よこはま型」と名のつく事業は色々ありましたが、全国的に見てもほかに例を見ない自立塾という意味でも特筆すべき事業と言っていいのではないでしょうか。

吉田)川名さんのご尽力に感謝です。これまでよこはま型や石巻の活動にたくさんの塾生が関わってきましたが、印象深い塾生はいますか?

川名さん)石巻を訪問した時、K2ハウスで腕相撲をした若い男の子2人が印象的でした。今はK2を離れていると聞きましたが、見た目ヤンチャでツッパリ系のような2人でしたが、仮設住宅を廻る屋台で一生懸命タコ焼きを焼いている姿にとても感心しました。また、塾生ではないですが、石巻スタッフの亀山さんから震災当時のエピソードを教えていただいたこと、現地で見た風景は今でも心に残っています。

吉田)ありがとうございます。川名さんのお好きなうんめえもん市のメニューは何ですか?

川名さん)牡蠣もいいですが、焼きそばが好きなので【石巻焼きそば】が一番ですね。
石巻やきそば

吉田)売り場にいらした時も買ってくださっていますね。いつもありがとうございます。長年我々と深く関わってくださっている川名さんから見たK2インターナショナルの強みは何だと思いますか?

川名さん)K2は裏表のない正直さが魅力だと思います。また、味方を作るのが上手ですね。最も大切なものは「人と人とのつながり」だと思いますが、金森ご夫妻だけでなく皆さんのつくる人脈が倍々になってつながりを大きくする。「人たらし」の人が多いですよね。

吉田)人たらし!素敵な表現ですね。

川名さん)K2インターナショナルとのお付き合いは、すでに10年余になります。
金森さんとの初対面、市が新たに若者の自立支援策に取り組むことを伝えた際、
「行政は信用できない。期待していない。」と冷たくあしらわれたことを想いだします。
でも、その後は本当に様々な事業を展開していただきました。そして、3.11。今も
多くの方々が仮設住宅で不便な生活を送っていらっしゃる中、K2の皆さんは石巻
ハウスを拠点に復興支援を続けています。今回の熊本の震災も、第2、第3の「K2」
が立ち上がってくれることを期待しています。

吉田)貴重なエピソードもたくさん伺うことが出来ました。ありがとうございました。
川名さん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!!

インタビュアー 紹介

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