うんめぇもん市の活動レポート「2014年 やっぺす通信9月号」より
うんめぇもん応援団の記事を抜粋して掲載しています。
今回は横浜市旭区長 濱陽太郎さんよりお言葉を頂きました。
2009年4月、私はこども青少年局青少年部長となり、たった1年ではありましたが、「福祉」系業務を初めて経験をしました。
そこでは「困難を抱える若者」の支援に関することが主な仕事でしたが、そもそも「困難を抱える若者」という言葉を聞くのも初めてでした。
しかし、K2の皆さんや若者の自立支援に取り組んでいる皆さんの話をお聴きしているうちに、当事者の抱える「困難」の態様やその原因も様々であるが、その状況を一言で表わそうとしているのが「困難を抱える」という抽象的な言葉ではないか、そして当たり前ですが、それらの困難も「一般的」にではなく、具体的に考えなければならない理解できないのではないかということが分かってきました。
また「若者」の範囲も、18歳までか、30歳までか、40歳までなのか、いくつまでを指すのか。
事業の対象としては「年齢」は重要な切り口ですが、その年齢になったら「困難」が解消されるわけではありませんので、NPOはじめ様々な支援者や各種行政機関の連携・協働した取り組み、つながりが重要なのだということにも気づいてきました。
当時を思い返すと、若者支援の関係者とお茶とお菓子を持ちより、率直に意見交換を行った「さわかい」も懐かしい記憶です。
岩本さんはじめK2の皆さんにも参加いただき、多くのことを教えていただきました。
そんなこともあって、「湘南・横浜若者サポートステーション」の設置もできたのではないかと思っています。
2011年3月、東日本大震災は、地震ばかりではなく原子力発電所の事故も加わり、東北地方を中心に多数の犠牲者とともに、大きな被害をもたらしました。
その年の夏、被災地をまわりましたが、あったはずのものが根こそぎ無くなってしまい、また線路や電柱が無残な姿で残り、がれきの山が築かれていたのを目前にしました。
その信じられない光景に、現実と非現実が入りまじったような妙な感覚が頭の中を巡りぼーっとしたことを覚えています。
あれから3年以上経ちました。写真などを拝見すると、復興が進んでいると感じながらも、自分のふるさとにも帰れない人の思い、大切な人を失った人の思いを考えると、まだまだではないかとも思います。
そんな中でも、被災された方・地域への支援(精神的、経済的)のつながりが、静かに広がっていることは嬉しいことだと思っています。
「うんめぇもん市」もその一つではないでしょうか。旭区においても「うんめぇもん市」が2年前から開催されていますが、多くの区民の方が立ち寄られます。
そこに顔を出し、販売している若者の姿を見、おいしいものをいただく。
たったそれだけで、被災地への支援にもなる。被災者への思いが商品をとおして、具体的な支援という行為として現れ、経済的なことばかりでなく心の支援にもなる。
さらに購入する我々の心にも被災の記憶が留まるように思います。
そして、「うんめぇもん市」の取り組みにより、被災地の生産者と横浜の消費者がつながります。
そこで汗を流す若者は、「働く喜び」と多くの人が「感謝してくれる喜び」を感じ、それが自立への力となっていくのではないでしょうか。
いま日本は超高齢社会の時代にあります。そして社会貢献したいという人も増えています。
「やってやる」という自己満足ではなく、貢献することにより「自分が活かされる喜び」を感じる人が増えてきています。
それが超高齢社会を生きる人々の活力であるとともに地域に活力をもたらすように思います。
「若者の自立支援」、「東北の復興支援」もそのことを示しているように感じています。