うんめぇもん応援団 応援ファイルNo.8 〜 うんめぇもん市応援「作る、売る、買う」 〜

うんめぇもん市の活動レポート「やっぺす通信2013年 12月号」より
うんめぇもん応援団の記事を抜粋して掲載しています。

今回はK2家族の会 代表 工藤 伸さんよりお言葉を頂きました。
 
 
 
 
 

 東日本大震災がどんなものか自分の目で見てみようと思って石巻に行ったのは、震災から半年過ぎた8月の終わりでした。
高速道路を下りて、市街地に入ってみても何ら変わったことがない風景でしたが、石巻駅を過ぎると両側の商店街の様子が一変しました。
木造の見物はほぼ全壊状況。コンクリートの建物も形は残っているけれど中はめちゃくちゃの状態でした。
日和山に登ってみると、そこからの眺めは、想像を絶するものでした。
海岸側は一面の荒れ地にポツリポツリと家が建っていました。
遠くから眺めていても何か変わっていると分かる景色でした。
山を下りて海岸に近づくと、空き地が広がっていたように見えたところに、そこにあったろう建物の基礎が残っていました。
山の上からは残っていたと見えた家も、家の中はめちゃくちゃでとても住めるような状態ではありませんでした。
そこにあった生活が全て取り払われてしまっていました。
遠くから小山のように見えたのは、うず高く積まれた廃車の山でした。
何百台あるのだろうといった感じでした。
渡波のK2ハウス石巻にも行ってきました。
穏やかな湾に面した所にあるのですが、防波堤は崩れ土嚢が積んでありました。
満潮になると海水があふれてくるとのことでした。
この状況を復旧するのはとてつもなく大変なことだろうと思い、そこに住んでいた人のことを思うと、とても悲しい思いになったことを思い出します。
当時、K2の石巻復興プ口ジェクトは、動き出したばかりで、まだ本格的に活動が始まっていませんでした。
次に石巻に行ったのは、半年後の春でした。その時には、K2スタッフが常駐して活動を行っていました。
その時は、春といっても横浜と比べずっと寒い中で、スーパーの店先でタコ焼き販売をしていました。
「うんめぇもん市」は、被災地に直接行って手助けしたり、義捐金を送ったりすることだけが支援ではなく、被災地の物を買う事で、被災地の産業の復興を支援しようとはじまりました。
被災地に家が立ち、人々の生活がそこで、始まるためには、仕事が復活する必要があります。
横浜市役所本庁舎とK2ビルで始まった「うんめぇもん市」も、横浜市の協力のもとほとんどの区役所に広がるなど、大きく広がっています。
拡大すればする程、食材の確保やメニューの調整、調理等K2スタッフの仕事はどんどん増えているみたいです。
そこで、私達K2家族の会でも、被災地復興支援「うんめぇもん市」を支援していきたいと思っています。
支援の方法として「作る」「売る」「買う」をキーワードとして行っていきたいと思います。
この冬は、渡波の牡蠣がよく育っているそうです。
ここでは「買う」で参加したいと思います。