うんめぇもん市の活動レポート「やっぺす通信2014年 01月号」より
うんめぇもん応援団の記事を抜粋して掲載しています。
今回は横浜市青少年相談センター 所長 守田洋さんよりお言葉を頂きました。
2011年3月11日午後2時46分、私は中央児童相談所の会議室にいました。
揺れのあと、すぐにつけたテレビでは、東北沿岸に10m以上の津波が押し寄せるとの警報が盛んに流れていました。
3月末、現職場への内示を受け、若者支援の現場に飛び込むことになりました。
着任して、K2には青少年相談センターの支所的機能を持つ南部ユースプラザを運営してもらっていること、全国的にもかなり先駆的な取組をしている団体であるということを知りました。
特にセンターには、毎月「うんめぇもん市」のお弁当を配達していただき、おいしくいただいています。
しかし、同時に届けられる石巻の窮状については、ただ聴くことしかできない自分のふがいなさを思い知らされていたことも事実でした。
2012年8月、旅行で東北に行く機会があり、石巻にも寄らせていただきました。群青色に輝く万石浦を間近に望む「K2ハウス」を訪ねました。
代表を務めていた香川さんとの会話が印象に残っています。
香川さんは、日本の大学で行き詰まりを感じ、K2に相談に行ったところ、ニュージーランドへ留学する機会を得、海外滞在をしたところ、日本の窮屈な価値観に囚われ続ける必要のないことを知り一気に展望が開けたこと。石巻では、たこ焼きカーに乗って仮設住宅を回っているが、行く先々でたこ焼きが大人たちの会話の潤滑油になっていて、とても暖かい住民同士の輪が広がっていること、などを生き生きと語ってくれました。
私は横浜に帰ってきて、香川さんの言葉と、ある石巻出身の作家の書いた本(『瓦礫の中から言葉を』辺見庸)の一節とが妙に重なって心の中で共鳴しています。
「人々は本当は、もう一段、深い言葉を欲しているのではないかと、最近、とても強く感じています。
被災した人々が待ち望んでいるのは、第一に必要な生活条件、現状の回復でしょう。と同時に、事態の深みに迫ろうとする得心のいく、胸の底にとどく、とどけようとする言葉でもあるような気がします。」という一節です。
香川さんは活動においては、単なる「仕事」としてではなく、人間存在として“ともに”深め合え、力づけあえるような「胸の底にとどく言葉」を求めており、仮設住宅の方々も、単なる支援物資ではなく、正面から<生き方>に向かい合う真摯な青年の姿を求めていたのではないかと思うのです。
震災については、単なる「復旧」ではなく「復興」を。ということが言われています。
日本には大震災後遺症だけでなく、「復興」しなければいけない課題が多々あります。
石巻とK2、そして横浜市との出会いから生じたこの事業が、石巻の、そしてこの社会の「復興」に向けて、ますます多くの幸せな出会いを生み出していくことを期待しています。