うんめぇもん応援団 応援ファイルNo.7 〜 意志有れば道あり 〜

うんめぇもん市の活動レポート「やっぺす通信2013年 11月号」より
うんめぇもん応援団の記事を抜粋して掲載しています。

今回は横浜市会議員・南区 遊佐大輔さんよりお言葉を頂きました。
 
 
 
 
 

初めての横浜市会議員選挙を1ヶ月後に控えた2011年3月11日、それは突然やってきました。
いつものように朝は駅に立ち、日中は戸別訪問をしていましたが、この日はたまたま打ち合わせのため事務所に戻っていました。
14時46分一。
必死で自分の体を支え、お手伝いに来てくれていたボランティアの方々と肩を寄せ合い揺れが静まるのを待ちました。
同時に、外回りをしている妻の安否と家族の無事、たくさんの支援者のこと、そして宮城に住む親戚のことが頭をよぎりました。
被災地に行きたい気持ちを抑え、「まずは被害の少なかった地域が決められたことをきちんと進め、地域の代弁者を決めたうえで被災地に行く。地元の声を届ける」と自分に言い聞かせ、初めての選挙戦に臨みました。
1ヶ月後、当選させていただいた私は、地元でのご挨拶回りを一区切りさせ、5月の初登庁までの時間で第二の故郷・宮城を訪れる機会をいただきました。
目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いできた風景は、それまで伝え聞いたものとはまったく違っていました。
横浜に戻り、早速二つのことに取り組みます。一つは放射線測定です。
当時、横浜がどれだけ放射線被害を受けているのか、基本となるデータがありませんでした。
そこで月に1回、市内の小中学校を訪れている学校薬剤師会の方々に放射線量測定の要請をしたところ快くご協力くださり、結果的に予定より約9ヶ月も早く全校の測定を完了することができました。
もう一つは募金活動です。後援会の理解もあって、長く後方支援させていただくために継続して募金をしていこうと決めました。
そして、行きたくても行かれない方のためにも必ず直接届けるようにしました。お札に両替したり、振り込んだりもしません。
そのままの状態で県庁に直接運ぶのです。現地ではレンタカーを借りて自ら運転して移動します。
初めてK2スタッフの方にお会いしたのもそうした活動の延長線上でのことでした。
温かく迎えてくださったK2の皆さんからは、お会いするたびに新たな発見を頂き感謝の念に堪えません。
石巻や横浜での活動のこと、若者支援に対する想いなど、やりがいを見つけて働く若者たちや現地の方々とのお話は、どれも忘れることができません。
職業人セミナーで出会った若者たち、地元南区役所での「うんめぇもん市」の開催などを通じて交流を深めさせていただけることと、訪れるたびに少しずつ被災地の町並みが回復してくることを嬉しく感じる一方で、震災から2年半が経過した今、心に負った傷の大きさも改めて痛感しています。
私は大学在学中、家業の閉鎖によって勉学を断念せざるを得ませんでした。
住み込みで民間のごみ工場に勤め、どうやったら明日食べていかれるかのみを考えて仕事をしてきました。
本社勤務に異動となり、会社が応援していた衆議院議員と偶然知り合い、その方の姿勢を見て、それまで政治にまったく興味がなかった私の心は動かされ、秘書として採用していただきました。
努力は裏切らない、努力していればきっと誰かが見てくれているのだと信じてやみません。
人生の岐路に立たされている多くの若者たちが自らの意志と決断によって自分の道を切り開いていくために、微力ですがこれからもK2スタッフの皆さん、若者たち、被災地を応援させていただきます。
一日も早い、本当の意味での「復旧・復興」をめざしてー。